​平成12年(2000年)4年間の修行を経て兵庫県尼崎市に刺繍店を構える。
修業時代
当時は尼崎から大阪の堺まで片道1時間をかけて電車で通うという毎日。朝9時に師匠の仕事場に到着するとそこから即ミシンの前に座り夕方6時まで片時も休むことなくミシンを踏み続ける。
当然ながら最初から上手く踏めるはずもない。踏めるどころか糸すらもかからない。糸が切れて切れて全く縫えないのだ。足の踏み込みと手で生地を動かすタイミングが合っていないのが原因なのだが当初はそれすらもよく分かっていなかった。「なんで切れんねん、なんで切れんねん」と心の中で連呼しながらミシンと格闘していたのをよく覚えている。格闘すること約半年、ちょっとは自分の思い通りにミシンを扱えるようになった時、師匠が「じゃあ高橋くん、そろそろホンチャン行ってみようか」とのご発言。ホンチャンとは本番のこと、ようするにお客様の商品に実際に刺繍を入れることだ。「えっ、まだ早いんじゃね」とは私の心の声。でも師匠がそう言ってくれたのだから出来るはずだ、と自分を奮い立たせ商品を持ちミシンの前へ座る。
「きっ、きっ、きんちょうする~・・・(涙)」なんなんだこの緊張は、今まで味わったことないぞ。初めてデートした時もこんな緊張はしなかったはずだ。手足がガクガク震え、脇汗がたら~り・・・ 
100回の練習より1回の実践とはよく言ったものである。お金をいただき刺繍をお入れする、これがどんなに大変で崇高なことか。隣では師匠がタバコをふかしながら鼻歌まじりで次から次へと作業をこなして行く。
もう尊敬を通り越して神様にすら見えていた。
独立 そして・・・
最初の仕事を何とか乗り越えてからは新しい仕事を次々に任せてもらえるようになった。それはもう必死だった。師匠のお店はかなり忙しかったので先にも書いたが朝の9時から夕方6時まで、時には失敗も繰り返しながらひたすらにミシンを踏み続ける。体力的なことに加え精神的な緊張の中で一日中作業をすると終わった時には、どっとした疲れが全身を襲う。
私にとって幸いだったのはそうした修業時代でも、やめたいとか苦しいだとかは一度も思わなかったこと。確かに身体は疲れるけどそれは心地よい疲れ。心は何とも言えない充実感に満たされ帰路に就く。
気が付けばあっという間に4年が経っていた。そしてある日師匠から私の人生を大きく左右する一言をいただく。
「一人でやってみるか」迷いはなかった。「はいっ!」そう答えると師匠はいつかこういう日が来ることを考えていてくれたようで、真新しいミシン2台を私の為に用意してくれていた。「これ持っていき」。師匠の心意気とその優しさに改めて僕は師匠の弟子で良かったと心の底から思い目頭が熱くなった。
独立してから今まで順風満帆だったわけではない。どちらかと言えば大変なことの方が多かったように思う。でもその度に師匠や業界の諸先輩方に助けられ今日まで刺繍屋を続けてこられた。私は刺繍が大好きである。天職という言葉があるけれど刺繍は私にとってまさに天職。
しかしながらこの業界を取り巻く状況は厳しい。20年ほど前、国内の生産拠点を一斉に海外に移したのが大きい。その影響は今も続いているし少子化もそれに拍車をかけている。少しでも努力を怠れば天から与えられたこの仕事も簡単に取り上げられてしまうだろう。
生涯を通じて刺繍を続けて行くため、そして一人でも多くのお客様の笑顔と出会うため私は今日もミシンの前へと向かうのである。
 
       
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​修業時代格闘したミシン